今の自分は、
これまで積み重ねてきたことの結果です。
特別な才能があったわけでも、
すべてを思い通りに選んできたわけでもない。
それでも、
ここにいるのは他の誰でもなく、
自分自身です。
環境や時代の影響は、確かにあります。
けれど、
それを理由にすべてを他人事にしてしまうと、
自分の人生から少しずつ距離が生まれてしまいます。
当事者意識とは、
自分を責めることでも、
急いで何かを変えることでもありません。
ただ、
「今の自分は、ここまで来た自分だ」と
静かに引き受けること。
そこから、
考える力はもう一度、
自分の手に戻ってきます。
ー この記事でわかること ー
当事者意識を、責任や自己責任論ではなく「姿勢」として理解する視点。
なぜか気になってしまうものには、
すでに自分との関係が生まれています。

今の自分は、積み重ねの結果である

当事者意識は、責任を問う言葉ではない
当事者意識という言葉には、
どこか重たい響きがあります。
「自分の責任だと言われるのではないか」
そんな身構えが生まれるのも自然です。
けれど、ここで扱いたい当事者意識は、
誰かを裁くためのものではありません。
責任を押しつけるための考え方でもありません。
評価せずに「今ここにいる自分」を認める
今の自分は、
これまで積み重ねてきたことの結果です。
うまくいったことも、
遠回りに感じることも、
選んだことも、
選ばなかったことも含めて、
ここに立っています。
そこに、
良い・悪いの判断は必要ありません。
反省や言い訳を加えなくてもいい。
ただ、
これは他の誰かの人生ではなく、
自分の人生だと認めること。
それが、当事者意識の入り口です。
当事者意識とは「立ち位置を引き受ける姿勢」
当事者意識とは、
過去を責めることではありません。
急いで何かを変えることでもありません。
今の立ち位置を、
静かに確認すること。
この姿勢があると、
自分の状態を
過度に否定することも、
すべてを外のせいにすることもなくなります。
当事者意識とは、
自己責任論ではなく、
「ここから考えるための姿勢」。
この立ち位置がはっきりすると、
初めて
これからどう向き合うかを
落ち着いて考えられるようになります。
当事者意識を失うと、すべてが「外側」になる
問題はあっても、自分の場所がなくなる
当事者意識が薄れると、
世の中の出来事はすべて
「起きていること」にはなっても、
「自分のこと」にはなりません。
社会が悪い。
時代が変わった。
会社や組織の問題だ。
どれも事実かもしれません。
けれど、それらを眺めている自分は、
どこにも立っていない状態になってしまいます。
これは『自分の人生なのに、どこか他人事に感じる』ときにも起こります。
問題は見えているのに、
自分の場所がない。
それが、「すべてが外側になる」感覚です。
考える力は「当事者の位置」からしか生まれない
考えるという行為は、
安全な観察席からは生まれにくいものです。
どこかに
「自分はこの状況の中にいる」
という立ち位置があって、
初めて思考が動き出します。
当事者意識を失うと、
情報は増えても、
判断は他人任せになります。
正解を探す。
誰かの意見を待つ。
結論が出ないまま、
疲れてしまう。
それは能力の問題ではなく、
立ち位置が曖昧になっているだけかもしれません。
外のせいにしている間は、内側が育たない
すべてを外の要因で説明できるとき、
人は一時的に楽になります。
でもその代わりに、
自分の内側で育つはずだった
問いや感覚が止まってしまいます。
当事者意識とは、
外部要因を否定することではありません。
「影響は受けているが、考えるのは自分だ」と
立ち位置を取り戻すことです。
立ち位置を取り戻すと、世界の見え方が変わる
自分は、この状況の中にいる。
完全にコントロールできなくても、
無関係ではない。
そう認めた瞬間から、
世界は少し違って見え始めます。
怒りや不満が、
問いに変わる。
不安が、
考える対象になる。
当事者意識とは、
行動を急がせるものではなく、
思考を自分の手に戻すための感覚。
そしてその感覚は、
次に何を考えるかを
静かに導いてくれます。
興味がある時点で、人はすでに当事者である

無関心なことには、好奇心も生まれない
人は、
本当に関係のないことには、
腹も立ちませんし、
引っかかりもしません。
そして同時に、
好奇心も湧きません。
「なぜだろう」
「少し気になる」
「もう少し知りたい」
こうした好奇心が生まれるのは、
すでにそこに
自分との接点ができているからです。
興味とは、
情報への反応である前に、
関係が生まれた合図でもあります。
好奇心は「自分事になっている」サイン
好奇心を持つということは、
まだ何も行動していなくても、
すでに他人事ではありません。
解決策を持っていなくてもいい。
立場を決めていなくてもいい。
それでも、
気になってしまう。
考えてしまう。
その状態そのものが、
当事者の位置に
足を踏み入れている証です。
当事者意識は、
意識して持つものではなく、
好奇心として
先に立ち上がってくるものなのかもしれません。
好奇心を無視すると、立ち位置は曖昧になる
好奇心が芽生えたとき、
私たちはつい、
「今さら考えても仕方がない」
「自分には関係ない」
と流してしまうことがあります。
けれど、
その小さな好奇心を
繰り返し無視していると、
自分の立ち位置は
少しずつぼやけていきます。
なぜなら、
好奇心は
「自分はここに関係している」という
内側からのサインだからです。
興味と好奇心は、当事者意識の入口にある
当事者意識は、
責任感から始まるものではありません。
使命感から生まれるものでもありません。
最初にあるのは、
ごく静かな好奇心です。
「なぜ、これが気になるのだろう」
「自分は、どこに引っかかっているのだろう」
その問いを
急いで答えに変えなくていい。
ただ、残しておく。
それだけで人は、
自分の人生の当事者として、
もう一度考え始めています。
好奇心が湧くということは、
すでにそのテーマに立ち会っている、
ということでもあります。

当事者意識は「責任」ではなく「立ち位置」である
当事者意識は、何かを背負うことではない
当事者意識という言葉が
敬遠されがちな理由の一つは、
「全部自分で背負わされそう」という感覚にあります。
けれど、
ここで言う当事者意識は、
責任を引き受けることではありません。
問題を解決しなくてもいい。
正しい行動を取らなくてもいい。
答えを出せなくても構わない。
ただ、
この状況の中に
自分は確かに立っている、
と認めること。
それだけです。
立ち位置があると、考え方が変わる
自分はどこに立っているのか。
何を見ていて、
何に引っかかっているのか。
この立ち位置が定まると、
思考の質が変わります。
「どうすべきか」より前に、
「自分はどう感じているのか」
「なぜ、ここが気になるのか」
という問いが立ち上がるからです。
これは、
行動を急がせる問いではありません。
自分を追い立てる問いでもありません。
考えることを、
自分の側に取り戻す問いです。
立ち位置を引き受けると、逃げなくてよくなる
すべてを外のせいにしているとき、
人は実は、とても疲れています。
なぜなら、
自分がどこにもいない状態で、
世界だけを見続けているからです。
立ち位置を引き受けるとは、
逃げ道を塞ぐことではありません。
むしろ、
逃げなくてよくなる状態をつくることです。
「これは自分の人生の中で起きていることだ」
そう認めるだけで、
必要以上に身構えることがなくなります。
当事者意識は、人生後半にこそ効いてくる
年齢を重ねるほど、
変えられないものは増えていきます。
環境、立場、体力、時間。
だからこそ、
当事者意識は
「何かを変える力」ではなく、
「どう向き合うかを選ぶ力」として
意味を持ち始めます。
責任を背負うためではなく、
納得して考えるための立ち位置。
それが、
知的な当事者意識です。
立ち位置を引き受けるということは、
他人の基準から一度距離を取ることでもあります。
→ 比べないという視点については、こちらで整理しています。

知的な当事者意識とは、「考え続ける姿勢」である

答えを出すことが、当事者意識ではない
当事者意識というと、
「結論を出すこと」
「行動に移すこと」
だと思われがちです。
けれど、知的な当事者意識は、
そこに急ぎません。
すぐに答えが出なくてもいい。
行動が伴わなくてもいい。
それでも、
考えることをやめない。
自分の問いから目を逸らさない。
その姿勢そのものが、
当事者意識です。
考え続けるとは、悩み続けることではない
ここで言う「考え続ける」は、
悩み続けることとは違います。
正解を探し回ることでも、
自分を責め続けることでもありません。
好奇心を持ち続けること。
「なぜ気になるのだろう」と
問いを手放さないこと。
それは、
世界と自分の間に
対話を保ち続けるような感覚です。
好奇心が、思考を自分の側に戻してくれる
興味や好奇心は、
思考を前に押し出すためのものではありません。
思考を、
自分の側に戻してくれるものです。
他人の意見に流されすぎず、
外の基準に振り回されすぎず、
「自分はどう感じているのか」に
立ち返らせてくれる。
その繰り返しが、
考える力を育てます。
知的な当事者意識は、人生を静かに支える
当事者意識を持ったからといって、
人生が劇的に変わるわけではありません。
けれど、
納得できないまま流されることは
少なくなっていきます。
自分の人生に、
自分が立っている。
その感覚があるだけで、
迷いや不安は
少し静かになります。
知的な当事者意識とは、
声を張り上げる力ではなく、
人生に立ち会い続ける力。
それが、
これからの時間を
支えてくれる姿勢です。
当事者意識は、
行動よりも前に、
考え続ける姿勢として表れます。
→ 知的な習慣については、こちらの記事で全体像をまとめています。

まとめ(結論)
- 今の自分は、積み重ねの結果
- 興味や好奇心は、当事者意識の入口
- 当事者意識は、責任ではなく立ち位置
- 知的な当事者意識とは、考え続ける姿勢
当事者意識の入口には、
いつも小さな興味があります。
→ 興味を持つことを整理した記事はこちら。

行動の一言
最近、
なぜか考えてしまうことは何でしょうか。
答えを出さなくていい。
ただ、その問いを
自分の側に置いておいてください。
それが、
当事者として生きる
いちばん静かな始まりです。

